2009.05.24
バイリンガル・メソッド
「外国語を習得するのに、母語はその障害になる」ということをよく聞く。例えば日本語と英語では、文の構造が違うし、単語も一部を除いては全く異なる。このような類似点の少ない言語であれば、母語と切り離して学習するほうが良いのかもしれない。しかし、日本における言語環境を考えてみると、週わずか4~5時間の英語の授業で本当に英語を効率的に習得できるのだろうか。たとえクラスで英語オンリーの授業をしたとしても、一歩教室を出てしまうと、もうそこは日本語の世界なのである。家に帰っても、友達と遊んでいても、誰一人英語を話す人はいない。1週間168時間の中でわずか4~5時間しか学習しない英語をどうやって記憶にとどめておくことができるだろうか。家庭で復習しようにもやり方がわからないし、英語オンリーの問題集もまず見当たらない。
では、どうしたらよいのだろうか。これは逆転の発想で、せっかく慣れ親しんでいる母語=日本語があるのだから、それを大いに活用して、英語を習得してはどうか。つまり、日本語との文構造の違いをはっきりと認識した上で英語に果敢に挑戦するのである。やり方は文法に基づいた英語構文を日本語→英語に矢継ぎ早に「口頭」で訳していく方法である。最初は文法構造の違いに戸惑うだろうが、逆に戸惑うからこそ英語の文法構造が日本語のそれと違うことがはっきりと意識され頭の中に刻み込まれていくのである。また、母語を使うため記憶に効率よく定着していくのもうなずける。このバイリンガル・メソッド(母語と習得語の両方を使う教授法)の効果は私の勤めていた前任校(同志社女子・京都文教)でも実証済みである。
今、アウラでは中学生はゼミの一部を使い教科書を中心に日本語→英語を口頭で練習している。初めての試みなので子供たちには違和感があるようだが、これを続けていくことで必ず成果があると確信している。また、高校生も基本構文集の例文200題を日本語→英語に変える練習を始めた。1枚のプリントに20題の日本語と英語が書かれたワークシートがあり、1文6秒の割合で口頭で進めていく。つまり1枚のプリントはわずか2分で言い終わることになる。そのプリントが10枚あり、全部やり終えるのに20分しかかからない。
このバイリンガル・メソッドは日本語が与えられ、すばやく英語に直す訓練によって成り立つものであるが、「将来も日本語が常に頭に存在しないと英語が喋れないのか?」という指摘を受けることがある。しかし、これも卒業していった生徒達を見ていると、訓練を重ねることにより、日本語→英語が瞬時に行われ、あたかも日本語を使用していないかのように私には思える。
私が米国の大学院で色々な「英語教授法」を学んだが、これらはすべて、米国内の環境で英語を教えるのに適した指導法だったと思う。過去20数年間を振り返ってみても、私はこのバイリンガル・メソッドが日本において最良の教授法だと信じている。吉良
2009.04.27
絶望のふちから
あい子から一枚の葉書が届いたのは今から約3年前のことだった。「先生、ご無沙汰しております。すぐにお返事書けなくてごめんなさい。私は元気です・・・」
2005年、私が長年教鞭をとってきた同志社女子中高を退職し、1年間の米国留学を控えた4月下旬、卒業生から突然電話がかかってきた。「あい子が...あい子が電車の事故で...」電話の向うで嗚咽が聞こえる。当時同志社大学2回生だったあい子がJR福知山線脱線事故に巻き込まれたのだ。死者107名、負傷者は500人を越える大惨事だった。
私がお見舞いの手紙を出し米国に旅立った時、彼女は意識が無いまま手術に向かうところだった。入院生活350日を越える始まりでもあった。
あい子は頸椎(けいつい)を損傷し下半身の感覚がない。「絶望」の二文字があい子に襲いかかる。しかし、あい子はめげなかった。「できないことは増えたけど、今からできることを増やしていけばいい」。大学の友人が講義ノートを見せ、特別に与えられた課題をあい子はノートパソコンで仕上げていく。そんな生活が約1年間続き、1つも単位を落とすことなく進級することができた。
退院して大学に復学してからは、大学の近くに下宿し、車椅子の一人暮らし。大学へは学生ボランティアが送迎してくれた。そんな時、あい子は私に1年半ぶりに手紙の返事を書いてくれたのだ。「…シアトルにもまた行きたいです」。彼女が高1だった時、ホームステイプログラムで彼女をシアトルに連れて行った経験がある。勉強熱心でシアトルのことなら何でも知っていた。小さな文字でいっぱいになった葉書には苦しい思いや恨み辛みは一切書かれていない。常にプラス思考なのである。
JR福知山線脱線事故から4年が経つ。この大惨事を風化させることなく常に関係者は再発防止に全力を注いでもらいたい。そして、事故に遭い今なお苦しんでいる人達が大勢いるということを私たちは忘れてはならない。
私は教え子のあい子から多くのことを学んだ。どん底に落とされてもそこから這い上がろうとする勇気。しっかり前を向いて自分の可能性を追求する態度。そういった彼女の積極姿勢に触れ、私は、逆に生きる力を彼女から与えられた気がする。
今春、あい子は大学を卒業し、東京のS社に約500人の同期と共に就職した。バリアフリーを含むユニバーサルデザインの研究開発を目指すという。今後の彼女の活躍に期待したい。 吉良
2009.04.20
Yes, we can!
みなさんは、この言葉をご存知ですか?そう、オバマ合衆国大統領の言葉ですね。昨年、民主党予備選において、初の女性大統領を目指すヒラリー・クリントンとデッドヒートを繰り広げる中、オバマ氏がテキサス州サンアントニオで行なった演説の中の一節です。オバマ氏が次のように問いかけます。「すべてのアメリカ国民が生まれながらに持つ権利としての繁栄と機会を取り戻すことができるのか。国際社会を先導して、21世紀の共通の脅威に立ち向かうことができるのか。」そして、その答えとして、このように締めくくっています。「We say, we hope, we believe, yes, we can!」つまり、「我々はこう言います、こう願います、こう信じます。大丈夫、我々にはできると!」
私はこのYes, we can!という言葉に、「希望」や「自信」や「力強さ」を感じました。オバマ氏から不可能を可能にすることができるのだという「信念」が伝わってきました。
アウラに集まった皆さんの中には、勉学や進学のことで悩んでいたり、家庭や友人のことなどで落ち込んでいる人はいませんか?もしおられたら、「もうダメ。」と諦める前に、「もうどうでもいいや。」となげやりになる前に、いちど心の中でこの言葉を唱えてみて下さい。そうすれば、先生や上級生からのアドバイスを冷静に受け止めることができるようになるかもしれません。家族や友人ともう一度話し合ってみようとする勇気が沸いてくるかもしれません。諦めかけていた将来の夢が蘇ってくるかもしれません。
アウラに英語講師として赴任してからまだ1ヵ月足らずしか経っていませんが、これからのみなさんの成長ぶりをしっかりと見守っていきたいと思っています。これからの長い人生、いろんな困難にぶつかっていくでしょう。失敗や挫折を繰り返しながら、時間をかけてひとつひとつハードルを乗り越えて行きましょう。そして、その困難を乗り越えた時の喜びはそれを実現した人にしか分らないのです。さぁ、前を向いて力強く生きていきましょう。躊躇することなくしっかり前を向いて!あなた達に不可能はないのです。Yes, we can! 吉良