2010.09.03

汽水領域の中で変容が起こる

アウラの教室では、小学校2年生から、高校3年生までが共に学んでいます。数学を学習している生徒もいれば、英語や国語を学習している生徒もいます。生徒の理解度にも大きな差があります。勉強が得意な生徒もいれば、勉強が嫌いな生徒もいるのです。そんな様々な状況の生徒たちが、一同に会して深い集中に向かう学びを展開していく場、それがアウラなのです。

今年、小学校4年生になるS子。この子は私が最も手を焼いた生徒の一人でした。一人っ子でかなり親から甘やかされて育ったS子は、わがままそのものでした。嫌なものは、絶対やらない。好きなことも最初のうちだけ、少しでも難しくなるともうやらない。本当にじゃじゃ馬のような子どもでした。彼女がアウラにやってきた初日、私は落書きでいっぱいになった彼女の筆箱を見つめていました。

「Sちゃん、この筆箱どうしたん?」
「学校の授業中に書いたん」
高級そうな真っ赤な筆箱の内側は、黒のマジックで落書きというより、殴り書きされたような状態でした。色とりどりのキャラクターの鉛筆と、その殴り書きは実に不釣り合いなものでした。そして、そのアンバランスさは、そのまま彼女の心を表現しているようでした。

「もう、わからん。やりたくない」
最初、彼女はよく学習しながらそう言っていました。そして自分の学習をほっぽり出しては、他の生徒のところに行っておしゃべりを始めます。

「Sちゃん、やりたくないんやったら、もうやらなくてもいい。先生は無理にSちゃんに勉強させようなんて、これっぽちも思ってない。やりたくなかったら、やらなかったらどうですか?」
私が、そういうと彼女は怒られていると思うのか、しばらくは自分の学習に向き合います。でもそれも長続きすることはありません。またすぐに投げやりな態度に出るのです。

私が生徒に、「やりたくなかったら、もうやらなくてもいい」というのは、特段、怒っているわけではありません。何かの脅しでもありません。本当にそう思っているのです。「学習は、やりたくないのにやる必要がない」と心からそう思っているのです。

ある時、S子が私のところに自分の学習したプリントを持ってきました。自分のやりたいところだけ、やったプリント、しかも殴り書きのような字。決して他人に見てもらおうという思いのあるなものではありません。

「Sちゃん、先生これ見ないよ。あまりにも適当なプリントですから…。これじゃ、Sちゃんの見てほしいという気持ちが伝わってこない」
そう言うと、私はS子にプリントを突き返します。

「なあなあ塾長、知ってる?あんな、今日な…」
すると今度は、S子がしきりに私の関心を引こうとします。
「まずやるべきことをやったらどうですか? それから、Sちゃんの話を聞きます」
私は、S子の話を取りあいません。

「ここは、学校じゃないから、ここで勉強しようと思う人だけが来ればいい。Sちゃんが本当にしたくないんだったら、お母さんに話して、やめられるように言ってあげるから…」
「やりたくないわけじゃない…」
「だったら、もう少ししっかりやればどうですか?やってるような、やってないような、いつもそんな感じがします」

私は、S子に何度もこんな話をしました。実は、私が生徒に対してここまでの話をすることはほとんどないのですが、彼女のあまりのわがままさに、私はある種の危機感を感じていたのかもしれません。学習以前の〈しつけ〉をしないといけないと思っていたのです。私の中に、〈親〉としての感覚が芽生えてきたのかもしれません。でも人懐っこいS子は、私に何を言われても、その度に私にすり寄ってきました。

そんなS子とのやり取りは、1年近く続きました。しかし、彼女が4年生になる直前から、その様子が一変します。彼女の書く字が丁寧になり、プリントをきちっと整理するようになり、学習に集中する時間が長くなっていきました。

「Sちゃん、いい子になってきたね。K先生も、S先生もそう言ってたよ」
私がそう言うと、S子は嬉しそうに笑っていました。そしてそれから、2ヶ月、S子は、今でもいい子のまま、日々アウラで学習を続けています。


S子の変化は大変大きなものでした。きっと、外部の人から見ると、それは別人のように映るかもしれません。どうしてS子は、こんな風に変わったのでしょう? その変わるきっかけは何だったのでしょう? その問いに対して私は明確な答えを持っていません。ただ、S子が変わり始めたのと時を同じくして、これまた一人っ子で、わからない問題に出会うとすぐに拗ねてしまう上級生のT君、いつも落ち着いて学習に取り組めなかったU君も、変わり始めたのです。ここにアウラのおもしろさがあると私は思っています。変容が、ここではひとりでに伝染していくのです。

アウラの環境は、〈汽水領域〉にたとえられます。海水と真水が混じりあう自然界の汽水領域、そこは、常に変化が生じていく領域です。異質なものが混じりあうことで、様々状況が生まれ、新しい環境がどんどん構成されていく領域。アウラはきっとそんな要素を備えているんだと思います。直接的な意図で、子どもたちが変わっていくのではなく、日々の変化がある一定量に達した時、そこに変化が生じます。そしてその変化は、場そのものをも変えていき、そこに生きているすべてのものに何らかの影響を与えていくのかもしれません。

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