2010.09.02

仮説を創造する

〈仮説〉は、創造されるものだ。
そしてこの創造のプロセスには、個人の体験を内在化した「経験知」の存在が欠かせない。

「体験」と「経験」の違いについては、森有正が「経験と思索をめぐって」という本の中で議論しているが、様々な「体験」の中から文脈を構成し、一連の体系として再生可能な情報として蓄積したものが「経験知」である。


「経験知」は、文献等に書かれた「形式知」とは追って、言語化されていない場合が多い。
個人が様々な体験を通して構築した主観的な知識体系なのだ。

しかしこの「経験知」は、個人の範囲にとどまるだけでなく、ある共有化された体験を通して、他者とも共有されていく。この場合、あうんの呼吸のようにその媒介に全く言語を伴わない場合もあれば、コミュニケーションを通して徐々に共有化される場合もある。

そして〈仮説〉は、この「経験知」と「形式知」の関係の中で創造される。
「経験知」が、〈仮説〉のイメージを生み出し、それを「形式知」で検証し、より洗練された〈仮説〉へと仕上げてられていく。

そこには、常にインタラクティブ(双方向)な「経験知」と「形式知」とのやり取りがある。だから「形式知」が豊富であればあるほど、「経験知」とのインタラクション(対話)が大きくなり、様々な〈仮説〉が創造される。 

「学びは、新しく取り込んだ知識と学習者の人生との対話の中で成立する」

以前、そんなことを考えたことがあるが、これはまさに「経験知」と「形式知」との対話なのである。私たちが手に入れた多くの知識は、自分自身の「経験知」との対話の中で活かされる。

教育というフィールドの中で、私がどうして「主体性」というありふれた言葉にこだわり続けるのか、それは「経験知」をどこまでも磨き続けていく学習者の姿に、学びの原型を見るからであり、その活動が、学習者の主体性を抜きにして成立しないからだ。

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