2009.04.27
絶望のふちから
あい子から一枚の葉書が届いたのは今から約3年前のことだった。「先生、ご無沙汰しております。すぐにお返事書けなくてごめんなさい。私は元気です・・・」
2005年、私が長年教鞭をとってきた同志社女子中高を退職し、1年間の米国留学を控えた4月下旬、卒業生から突然電話がかかってきた。「あい子が...あい子が電車の事故で...」電話の向うで嗚咽が聞こえる。当時同志社大学2回生だったあい子がJR福知山線脱線事故に巻き込まれたのだ。死者107名、負傷者は500人を越える大惨事だった。
私がお見舞いの手紙を出し米国に旅立った時、彼女は意識が無いまま手術に向かうところだった。入院生活350日を越える始まりでもあった。
あい子は頸椎(けいつい)を損傷し下半身の感覚がない。「絶望」の二文字があい子に襲いかかる。しかし、あい子はめげなかった。「できないことは増えたけど、今からできることを増やしていけばいい」。大学の友人が講義ノートを見せ、特別に与えられた課題をあい子はノートパソコンで仕上げていく。そんな生活が約1年間続き、1つも単位を落とすことなく進級することができた。
退院して大学に復学してからは、大学の近くに下宿し、車椅子の一人暮らし。大学へは学生ボランティアが送迎してくれた。そんな時、あい子は私に1年半ぶりに手紙の返事を書いてくれたのだ。「…シアトルにもまた行きたいです」。彼女が高1だった時、ホームステイプログラムで彼女をシアトルに連れて行った経験がある。勉強熱心でシアトルのことなら何でも知っていた。小さな文字でいっぱいになった葉書には苦しい思いや恨み辛みは一切書かれていない。常にプラス思考なのである。
JR福知山線脱線事故から4年が経つ。この大惨事を風化させることなく常に関係者は再発防止に全力を注いでもらいたい。そして、事故に遭い今なお苦しんでいる人達が大勢いるということを私たちは忘れてはならない。
私は教え子のあい子から多くのことを学んだ。どん底に落とされてもそこから這い上がろうとする勇気。しっかり前を向いて自分の可能性を追求する態度。そういった彼女の積極姿勢に触れ、私は、逆に生きる力を彼女から与えられた気がする。
今春、あい子は大学を卒業し、東京のS社に約500人の同期と共に就職した。バリアフリーを含むユニバーサルデザインの研究開発を目指すという。今後の彼女の活躍に期待したい。 吉良
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