2012.05.17

自家製ドライフルーツ

 ある日、うちの娘がドライアップルを買ってきました。それを食べると、なんとおいしいこと!その自然な甘さに、すっかりはまってしまいました。

 しかし、お値段が高い・・・。いくつも買えるもんじゃないし、食べ始めたら、すぐに無くなってしまいます。

 そこで、自分で作ってみることにしました。

 本当はちゃんとした作り方があるのかもしれませんが、私の作り方は、ただリンゴを薄切りして干すだけで、他には何も手を加えませんでした。

 リンゴを干すための道具は、こんなものを使いました。

 もともと魚の干物を作るためのもので、知り合いの大工さんの作品です。

 そして、でき上がりはこちら。


 見栄えも乾燥具合もイマイチですが、けっこういける味です。買ったものには負けますが、どんどん作って、バクバク食べることができます。

 我が家では、この冬から春にかけて、ドライアップルを作っちゃあ食べ、食べちゃあ作りしてました。

 その後、柿の乾燥したものを食べる機会がありましたが、これがまたいける味でした。今度は柿を乾燥させようと、秋を楽しみにしています。

2012.05.16

精神医療の文脈と生活者としての文脈

 知誠館では、現在複数の精神医療の現場にかかわっておられる先生方と連携をとっています。医療のサポートが必要な生徒がいた場合、私たちはいつでもそれぞれの先生方からのサポートを受けられる体制を確保しているのです。

 そんな中で、先生方とこれまでにもいろいろと議論をしてきた経緯があります。それは医療という文脈と当事者である子どもの生活そのものの文脈とのずれの中から生じてきた課題に関することだったように思います。

 たとえば、精神医療の観点から見ていくと、患者である子どもへのストレスは低い方がいいに決まっています。でも子どもは、患者としてだけ生きているわけではありません。高校受験もしたいし、大学にだって行きたい。アルバイトもしたいし、彼女だって欲しいのです。今の自分自身にとどまるのではなく、次のステップへと進んでいきたいわけです。そしてそのためには、一旦ストレスを引き受けなくちゃならない。

 環境の変化はすべてストレスを作り出します。ヒトは一つのシステムであり、それは絶えずその周りにある環境との交流を伴って、より大きなシステムと相互的に機能しあっています。

 そしてあらゆるシステムは、安定を好みます。不安定であればシステムが機能不全に陥るからです。それはヒトだって同じです。変化はいつもストレスなんです。でもヒトは、機械とは違います。命があり、誕生から死までという限定された時間軸が設定されているからです。そこには「成長」という概念があるわけです。

 私たちが生きていくということは、すなわち成長するということであり、この限定された時間軸に沿ってコマを進めることです。つまりそこには、変化を前提とする過程があるわけです。だから私たちは、一方で不安定さを引き受けながら成長し続ける存在なのです。私は、これが生活者としての文脈なんだと思います。

 精神医療のモデルを考えるとき、患者をその生活という文脈の外へとおいてしまうとその人の生活が成り立たなくなってしまい、それが新たなストレスを生んでしまいます。だから、絶えずそこは、その人の生活の文脈に沿った形で考える必要があるわけです。私たちが医療に携わっておられる先生方と連携を取るのは、そこに大きな意味がると考えるからです。

 

 

2012.05.15

「レナードの朝」 Awakenings

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1969年、ブロンクス。慢性神経病患者専門のベインブリッジ病院に赴任してきたマルコム・セイヤー(ロビン・ウィリアムズ)は無口で風変わりな男だったが、患者に対する態度は真剣で、彼らが話すことも動くこともできないものの、まだ反射神経だけは残っていることを発見すると、訓練によって患者たちに生気を取り戻すことに成功し、その熱意は治療をあきらめかけていた看護婦のエレノア(ジュリー・カブナー)の心をさえ動かしていった。そんなセイヤーの患者の中でも最も重症なのがレナード・ロウ(ロバート・デ・ニーロ)だった。彼は11歳の時発病し、30年前にこの病院に入院して以来、意識だけはあるものの半昏睡状態で寝たきりの生活なのである。何とか彼を救おうとしたセイヤーはまだ公式に認められていないパーキンソン氏病患者用のLドーパを使ってレナードの機能回復を試みる。そしてある朝、ついにレナードはめざめを迎えた。ベッドから起き上がり、セイヤーに連れられて30年ぶりに街に出たレナードにとって見るものすべてが驚きだった。その効果に意を強くしたセイヤーは上司に他の患者にも新薬を使うことを申し出て、病院のスタッフの協力によって投薬が始まョった。そしてある夜のこと、セイヤーはベッドから次々と起き上がる患者たちの姿を見るのだった。一方、完全に機能を回復したレナードだったが、彼が病院に見舞いにきたポーラ(ペネロープ・アン・ミラー)に生まれて初めての恋をしたことから問題が起こる。1人だけで外出したいというレナードに医師団は反対し、それに反発したレナードは怒りからか、再び病状の悪化が始まってしまう。しだいに狂暴になるレナードをセイヤーですら押さえ切れなくなる。そして、ついにレナードを始め、目覚めた患者たちは、すべて元の状態に戻ってしまう。自分のしたことは間違いだったのだろうかと悩むセイヤーにエレノアは優しい言葉を投げかけるのだった。 (goo映画からの引用)

「レナードの朝」、原題は「Awakenings」、直訳すると「目覚める人たち」。
私はこの映画の話題を、3年間自分の部屋でひきこもっていた経験を持つサトルとの会話の中で取り上げました。サトルはそんな生活からほとんど奇跡的に脱出し、今では毎日アウラに通う高校生となったのです。

そんなサトルがアウラで学び始めてから1年が過ぎました。今まで欠席は無し、高校の評定平均は5.0。ほぼ完ぺきな状態でここまで進んできました。

でもサトルは、いつまでもここにいれるわけではありません。高校を卒業するまでのあと二年間だけ、アウラにかかわることができるのです。限定的な時間軸の中でこそ、私たちは生徒たちに出会い、そして巣立ちを見届けられるのです。

サトルはようやく長い眠りから目覚め、アウラへとやって来たのです。でもそこから、次の場面へと進んでいくのか、それとも映画の中のレナードのように再び長い眠りへと帰っていくのか、それは、サトル次第でもあるのです。

2012.05.11

不登校と家族

不登校の子どもたちを見ていると、そこに家族の課題がよく現れてくることがあります。
子どもの不登校というのは、多かれ少なかれ家族にとっての危機になります。
そして危機的な状況というものは、日常の構造を鮮やかに写し出すものです。

順調な時には見えなかったことが、危機的な状況になった途端、浮かび上がってくる。
だからこそ私は、その本人もあるいは家族にとっても何か新しいことに気づき、変われるきっかけになると思うのです。

不登校は、絶望ではありません。
不安の源泉でもありません。
きっとそう思えるようになり始めた時、何かが確実に変わり始めるのかもしれません。

2012.05.10

ひきこもりからの脱出

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「1年目はよかった。2年目になるとすることがなくなって、3年目は地獄だった…」
そう話してくれたのは、3年間をほとんど自分の部屋で過ごしていたというサトシ(仮名)。彼は入学した高校が、自分に合わずそこから不登校になって、その後自分の部屋にこもるようになっていったのです。

「部屋では何をしての?」
「特に…」
「ゲームとか?」
「いいや」
「パソコン」
「持ってなかった。でもその当時はテレビがあったので、それを見てた」
「携帯は?」
「携帯は見てたかな…。でもやることがなくて…」

そう言えば、以前サトルが「ひきこもりも3年やれば飽きる」ってことを誰かに言っていたことを思い出した。彼に言わせれば、4年目になるときっと気が狂うそうです。

そんなサトルは、今大学への入学をめざして毎日知誠館で学んでいます。通信制の高校に属しながらその準備を着々と進めています。欠席はありません。ほんの1年前まで自室から出ようともしなかったサトルの姿は、もうどこにもなくなったのです。

「トランスフォーム」

まさにそれは、蛹から蝶になるような大きな変容なのです。
知誠館には、そんなドラマがたくさんあるのです。
 

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